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小嶋工務店 代表取締役 KOJIMA BLOG

2017.4.9


おはようございます、小嶋です。

今朝は、雲が低く一面に広がり小雨がパラついていますね。

最近、相棒のまめ太を散歩に連れていっていなかったので、昨晩は公園に行二人で走りこみをしました。

桜が満開でとても綺麗な夜桜でしたが、あまりの寒さに5分もたたずに、相棒はバックの中に逃げ込んでしまい、仕方なく走りこみは300mで終了となってしまい少し残念でした。

会社に居続けると足腰が弱くなるので、たまには相棒と走り込みをして、これから先も健康でいられるようにしていきたいと思います。

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さて、昨年の10/27に応募が始まり、一審査を通過した後、3/14に二次プレゼンが行われ、その合否を待ち続けていた『東京都 木の香る多摩産材普及拡大事業』の結果ですが…

昨日、東京都 産業労働局農林水産部森林課から書面にて、朝日新聞社三鷹ハウジングプラザ2棟の出展及び建築に対する採択通知を頂きました。

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これから数度の打ち合わせを東京都産業労働局農林水産部森林課の方々と重ね、来年のお正月グランドオープンを目指しますが、この10年、東京の木材に拘り、誰よりも普及に取組んでいて素直によかったと思いましたし、ホッとしました。

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(ドキドキしながら、都庁の控え室で2次プレゼンを待つ、TOKYO WOOD普及協会のメンバー)

正直、2次プレゼンでは厳しいお言葉も沢山頂いた為、今回は駄目かもしれないと思った事も、この3週間、何度もありましたが、採択通知を両手に抱え、涙を流して私の部屋に飛び込んで来た、高井部長を見ると私も涙が溢れて止まりませんでしたね。

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(今年の1月、提案書を完成した時の写真)

この5ヶ月余り現業を抱えながら事業採択の為に奮闘してくれた、高井部長を筆頭とするプロジェクトチームは弊社の宝ですね、国の事業である、長期優良住宅先導事業から始まり、数々の国や東京都の事業に採択し、弊社を年々レベルアップさせてくれ、心から感謝の気持ちで一杯です。

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そして、山側である沖倉理事長を始めとする、TOKYO WOOD普及協会の皆にも多大なる御支援を頂き、また1つ弊社やTOKYO WOOD普及協会の歴史に名を刻む事業を勝ち取ってくれました。

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これから先、住宅業界は更に厳しさを増していくと思いますが、皆で力を合わせ、地元で必要とされる工務店になっていきたいと思います。

今回の事業に御協力頂きました、山側の皆様、そしてTOKYO WOOD普及協会を選んで頂きました審査員の皆様、心より御礼申し上げます。これからも東京の資源循環を常に考え、東京の環境に寄与する会でありたいと思いますので、今後共、末永いお付き合いを宜しくお願い致します。

本当にありがとうございました。

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☆『着工式 H27/8

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2017.1.19


 

おはようございます、小嶋です。

今朝は雲が低いですね、分厚く広がる雲の先に、真っ白な富士山が薄っすら見えていて本当に綺麗ですね、富士山全体が綺麗な雪化粧をして雪の帽子を被ったような姿もいいですが、冬の富士山は本当に美しいと感じました。

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さて、昨日は午前中、新しく変更するTOKYO WOODのロゴの件で、㈱森未来の浅野社長と、鈴木先生と打ち合わせさせて頂きました。

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昨年の秋口辺りから、ホームページとロゴを新しくする為、皆で話し合ってきましたが、ようやくロゴが決まりましたので、虎ノ門の鈴木先生にお願いして作業を進める事となりました。ロゴを含めた内容を刷新したホームページの完成は2月末ぐらいになりますので、完成致しましたらご報告させて頂きます。

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(新しいTOKYO WOOD普及協会のロゴ。)

 

その後、場所を府中市にある芸術の森劇場、鳳凰の間をお借りして、弊社の賀詞交歓会を開催させて頂きました。

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(御来賓の挨拶は、㈱カネカの堀江社長様、多摩信用金庫北府中支店の青山支店長、日本住宅保証機構の唐澤部長に頂きました。)

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(今月25日に80歳の誕生日を迎える会長からは、時間を大幅に越える決意表明をして頂き、私も今年一年皆で、安全第一で、丁寧な家造りをしていきましょうとお話させて頂きました。)

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(社内バンド、コジマバンドの演奏をさせて頂きました。)IMG_7307

(協力会の小坂会長から、皆で着工式を盛大に行おうと号令が掛かりました。)

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大勢の職方さんや協力業者の皆さんと楽しく時を過ごす事ができ、心から感謝申し上げます。また一年こうして賀詞交歓会を開催できる喜びを胸に、これからも日々努力して行きたいと思います。

最後は、すいません、少しお酒が入ってしまい、なんとも言えない集合写真となりましたが、皆一年思いやりの気持と、感謝の気持ちを常に持ち一日一日を大切に過ごしていきたいと思いますので、皆様これからも宜しくお願い致します。

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そして、最後に、沖倉理事長を始めとする、TOKYO WOOD普及協会のメンバーで記念撮影をさせて頂きました。今年一年、東京の山にとっても大切な一年となりますので、皆で力を合わせて東京の環境に寄与していきたいと思います。

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(左から、森未来の浅野社長、私、田中林業の田中社長、中嶋材木店の中嶋社長、沖倉製材所の沖倉理事長、東京チェンソーズの青木社長、初めてスーツ姿を見させて頂きましたw、そして弊社の高井部長です。)

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(司会の吉川さん本当にお疲れ様でした。)

 

2日連続で夜遅くまで語らい、少し眠たいですが一日元気に働きたいと思いますね、さあ、今日も一日がんばります!

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2016.7.16


おはようございます、小嶋です。

今日は過ごしやすいお天気ですねモデルハウスのイベントに沢山お客様が来て頂けるようにがんばりたいと思います。

昨日、『国土交通省 平成28年度住宅ストック維持・向上促進事業のうち良質住宅ストック形成のための市場
環境整備促進事業の公募』の発表がありましたが、弊社が参加している、『長寿命住宅研究会』が無事採択されました。

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これから、研究会にて精査して、一般のお客様に対して告知いたしますので、御興味ある方は、弊社の販売企画部門、高井部長まで御連絡くださいませ。

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さて、昨日に引き続き弊社の歴史について書きたいと思います。

昭和40年に創業し、高度成長期の波に乗り、創業5年目頃には100棟の新築工事を頂ける様急成長した弊社でしたが、そんな中、当時としてはめずらしかった、モデルハウスの建築にも着手していました。

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現在の東八道路を東に、府中試験場がある少し手前に、ファミリーレストラン『デェニーズ』がありますが、そこの近所に地主さんから土地をお借りして、当時、まだあまり知られていない、永大産業の2×4住宅『ED工法』を採用し、商品名『サンハウス』の販売を開始しました。

在来木造住宅を主としていた弊社でしたが、永大産業の現在は退任された、吉川元会長と打ち合わせを重ね、最先端の2×4工法に着眼しモデルハウスの建築をしました。

昭和47年当時、最先端の工法にメディア関係が大きく取上げ、ついには、当時の農林大臣(故桜内義雄氏)が視察に来るほどでした。

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ちょうどその当時、病気で妻が他界した会長は、休む暇も無く働いていた記憶がおぼろげながら私にもありますね(笑)

私が日曜日に何処かに行くのは、決まって現場か工場(笑)

いかつい大工さんに囲まれ、おが屑の匂いに囲まれた事が、現在の人口乾燥の家造りに対して拒否反応をしめしたのかも知れないですね、檜の香り漂う現場は気持ちいいですからね。

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(当時の現場)

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(現在はハードオフとなっている工場)

そして、この時当時としては珍しい『住宅の15年保証制度』を実施しました。現在もこの時の保証制度を数度改訂していますが、当初会長が思いを馳せた、頑丈な家造りの精神が盛り込まれています。当時は思いを伝える事で、家の注文は頂けており、さして目新しい事をせずとも良かったとは思いますが…

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(右が昭和47年当時の本社、左は倉庫と寮)

会長の『東京のちゃちな家には負けない』という、豪雪地帯である新潟で家造りの修行をした思いが自信となり、この保証書をこさえたような気がします。今の時代では当たり前の事でも、新しくチャレンジすると言う事は本当に恐いもの、特に社員数が増えれば増える程責任は増し、トライする事が臆病に成っていくものです。私も役員に成り立ての時は、保守的な発想が大半でしたし、いいと解かっていても中々チャレンジしなかった1年を過ごした記憶がありますね(笑)

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(怪獣もびっくりの頑丈さ…ものすごいキャッチフレーズです(笑))

笑われても己が信念を貫く

いい言葉ですが、解釈の仕方によっては、成功者が、後付で造り上げた言葉(自慢話)のような気が当時はしましたね。

同じ時代で言えますか、その言葉って(笑)

どうせ時代が良かったんでしょ等、目上の方から聞く言葉は、目上の方の自分反省会みたいで本当に嫌いでしたね(笑)

ひねくれすぎですかね(笑)

光り輝く未来が見えていればトライできる事も、ネガティブな情報ばかりが目に付く現在では、信念を貫くという言葉に、『誰もができない、誰もが頷く信念を貫き通す』と変えたほうがいいと思いますね。

正直、最近では弊社の会長ならば例え2000年の時代にあっても、一から会社を立ち上げ何となくやり遂げてしまうだろうなと、少しずつ、あまり認めたくはないですが(笑)思うようになって来ましたね(笑)

その根拠は、ある程度成功する者は、人に好感を持たれる人物だという事です。

ようは魅力があるという事だと思います。

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(消防団の先輩宅で壁画を作成する会長)

『魅力』

人を引き付ける力というのは、自分で努力して得る事は中々出来ないもので、どんなに優れた人材でも、出社するのが遅かったり、時間にルーズな人材は好感を持たれない、ましてや、他人の悪口や愚痴ばかりを広める人材では、誰も困った時に助けてくれないからです。

何時だったか、力が全てと営業の先輩に教わり、力とはスキルと販売ネットワーク(友達が多い)だと教わりましたが、得てして当時凄いなと感じた先輩も、たまにお会いすると過去も話ばかりで、その当時の上司や社長批判がお酒のつまみとなり、聞いていて寂しくなりますね。(見てたら怒るかな、毎日見てるといってたから(笑))

会長も以前、あの人だけには俺は負けたくないと、珍しくとある社長の名前を出した時がありました。

理由は聞かずとも解かりますし、そんな状況にさせてしまった会社の実情を申し訳ないなと心から感じ、この言葉から、この人の下で見られることの無いような会社に造りかえると決意し、私も会社も生き方を大きく変えました。

何故変えたいのか、どうありたいのか、272項目の、6ヵ年3期の改革に辺り、現在10年の時が経過しました。

いつもきっかけは会長の言葉(笑)

社長に選任される前日には、『もうおまえしかいない』って(笑)

しかっていいますかね(笑)

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(現在は、小金井市の観光協会の重職を拝命して、地元貢献に尽力しています。)

まあ、長男がいた我が家では幼き頃から長男が跡継ぎだと私も思っていて、20年前なら誰も私が継ぐとは思っていませんでしたから(笑)かく言う私もそんな気はさらさら無く、己がために日々を過ごしていましたから。

あの人にだけは負けたくないと聞いた時、その時点で会長にかけた言葉は、大丈夫、葬式の時に会長の凄さが必ず解かるから、あの世に行く前に、幡髄院の軒下で葬式の風景を確認してから三途の川に行ってくれと話しました、多少悔し紛れな気持ちもありましたが、その時は正直にこの言葉が出てきましたな、そしてなんとしても『地元でなくてはならない工務店』にするという気持ちになりました。

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(会長の一番弟子??矢内さん)

財産は先方がはるかに凄いでしょうし、葬式に来る人も多いかもしれませんが、葬式で涙する人の数は必ず上だからっと(笑)

そして、あの世に行く前には必ず皆が、その会社の社長より地元で喜ばれる会社にしてくれるからっと!

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ようは、困った時に本気で助けてくれる方がどれだけいるのかという事、それはもちろん可能性の問題もあるとは思いますが、最後はその人の魅力(信頼)だと思います。得てして

成功者はお金を持つと勘違いして馬鹿に成る傾向がありますが、やはり私はケチな経営者や、決断の遅い経営者と言われる方のほうが好きですね。

言われるとカチンときますが(笑)

誰よりも朝早くから働き、誰よりも遅く働く、そして休む事をしない昭和の経営者』が大好きですね。

多分、働く事が夢中で辛くないのだと思います(笑)

決まってみんな素敵な笑顔みせてくれますから…

人は夢中に成っている時が一番かっこいい、何故なら雑音(批判)を気にせず前に進む事ができるから、かく言う私もそんな人材だったと思いますから(笑)

10年前、69歳の会長の夢を達成するまでに命数を祖父の86歳と考え(怒られそうですが)作成したプログラム…

少しは御満足して頂けたのか、解かりませんが、皆でまた新しいビジョンを共有し、次世代への繋ぎ役としてがんばりたいと思います!

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先日行われた全体会議で、『最近私は暇になってきたから、お客様の所へ連れてくように!』っと、真顔で話す会長に噴出してしまいましたが、79歳になった会長の小嶋工務店の歴史はまだまだ続きますので、是非、お住まいの計画がある方は、会長にお任せください!

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ご依頼頂いたお客様に会長手造りの壁画を格安でお造りするそうですから、もし、もしも趣味が合う方は御連絡くださいませ。現在4棟のお宅に納品されましたが、皆さん運気が上がったとの事です!

さあ、今日は分譲の打ち合わせ、一日がんばります!!

小嶋工務店五十年史 その1

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小嶋工務店五十年史 その3

小嶋工務店五十年史 その4(次のページ)

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2016.7.15


おはようございます、小嶋です。

今日は朝から小雨がぱらついていますね、暑さを感じさせないので小雨程度は歓迎しますが、現場が捗らないのも困るので、もう少ししたら曇り空のまま過ごしやすい一日にして欲しいですね。

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さて、今回も前回に引き続き弊社の歴史について記載したいと思います。

30代半ばだった頃、会長と新潟にあるお墓参りに行った時のことでした。

何となく暇な車中ということもあり、創業当時の話を運転しながら聞いてみました…

時に昭和30年代、戦後という言葉が浸透し、戦後の復興や首都東京が大いに活気付いていた頃、弊社の会長は故郷の新潟県柏崎から当初は出稼ぎという形で働きに東京に来ていました。

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(右から二番目が会長です。)

当初は大工になりたいと思いを馳せ、実家の近所にある建築会社で働こうとしたが、祖父が病気がちで、一家6人(祖父、祖母、長女、次女、次男)の生活費を一人で工面するには、丁稚といわれた当時の制度では給金が安く断念し、給金の高い、ダム工事の土方仕事をして生計を立たとの事でした。

ただやはり大工に成りたいとの思いは消えず、近所の建築屋の親方に相談にして、人一倍働くと交渉し人並みの給金として、大工仕事に従事したとの事でした。

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尋常小学校(現在の中学高)を卒業した後、17歳で職に就いた会長は、その後人一倍働いたとの事です

『今は週休2日だとか言っているが、当時は1日と15日の2日しか休みはなかった、でも大工仕事ができるのが嬉しかった』とその時話していました。

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20歳を過ぎ数年してから、小嶋家の親戚が都心の会社で役員をしており、その方から官の仕事を請け負い、当時の新潟の職人を100人ほど引き連れ官舎工事等を請負ったとの事でした。いわゆる現在の現場監督のような感じでしょうか。

結婚し長男を授かった頃、出稼ぎから東京に定着するようになり、当初は杉並区の一軒やを借りて働いていたが、安定した場所で仕事をしたいと願い居を探している時、新潟の知人から『府中市新町に自宅を新築して欲しい』との依頼がはいり、『新築しても5年間は住まないので、会長に住まないか?』と言われ、杉並の賃貸から府中に引っ越す事になったそうです。

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会長が、府中市の新町に住むようになって間もなく、お世話になっていた会社が倒産し、大勢いた職人さんを数名を残し辞めてもらう事になりましたそうです。この時、もう二度と下請け仕事はやらないと心に決め、昭和40年7月に、府中市新町で小嶋工務店を旗揚げしたとの事です。

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(今はもう無い府中市新町の創業の地)

当時は、会長と母、弟子3人の計5人でのスタートし、先も見えず知らない土地でどうするか不安の毎日だったそうです。

初めての仕事は、隣の方から頂いた『トイレの修理』…

知らない土地で、仕事も無く時間だけが過ぎていた時、社交的だった母が隣の奥さんから相談され、修理のお仕事を頂いたとの事でした。代金は千円だったとの事。この時、近隣との関係、人との繋がりの大切さをあらためて感じたとの事でした。

その後、一年近く仕事らしい仕事が無く、困り果てたあげく、土地を購入し建て売り住宅の販売を考えたそうです。

自分の預金全額と購入予定の土地を担保に、信用金庫から土地代を借り、東大和市南街に50坪の土地を仕入れ代金にしたようです。チャレンジするならと精魂込めて建物を造り、販売しましたが一月が過ぎ、二月が過ぎても全く買い手からの音沙汰は無く、今思えば販売する手法や伝も無く、ネガティブな気持ちになり負が負を呼ぶものなのですが…

会長のツキはこの時から冴え渡っていたのかもしれませんね(笑)

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売れなければ支払いは始まり、不安は不安を呼ぶものですが、ある日突然買いたいという買い手からの電話があり、色々苦労はしたようですが無事決済する事ができたそうです。そんな事もあり、未だに私が土地の仕入れをする計画をしていると、誰から聞いたのか現場を見に行くと一人で出かけてしまい、ああしろこうしろと、大半は聞いていませんが(笑)やかましいのなんのって(笑)

当時の若い二人の気持ちを考えれば、ホンとに辛かったと思いますし、今のこの年になって創業当時の辛さが少しは理解できるようになりましたが、知らない土地で事業を始める辛さは、楽しかったという会長の言葉を聞くと、少し頭がおかしいのではと感じてしまう私です(笑)

私は歴史の書物を読むのが好きですが、一番興味を持つのが、その時の気持ちです。人は誰もが失敗はしたくないもの、そして最短距離を歩みたいものですが、得てして最短距離を歩んだ人ほど不幸な結末を迎えているような気がします。たとえ時間が掛かっても人の心の奥底を見て慎重に動いた者ほど得ているものが大きいような気がしますね。

その後、飛躍していく中で、会長は数々の武勇伝、失敗をしていますが、不思議とその後大きく飛躍していてるような気がします。

その中でも、車中、恥ずかしそうに語った話の一つがあります。

『いや実は、指をなくしたお陰で会社ができたんだと』…

は、…なにそれ、ですよね(笑)

初めて聞いたときは、ヤクザの指つめかと思いましたが(笑)なんの事は無く、お金ができたから当時、最先端の電気カンナを購入して、弟子に使い方を教えていた時に、軍手がからまり、指が落っこちたとの事でした…

まあ、痛かったとは思いますが、そのおかげて労災が降り、そのお金で、有限会社にしたとの事です。

今でも海外の空港に行くと会長だけ、別室に呼ばれAre you a Japanese YAKUZA 』と言われるそうです(笑)

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小さな??失敗を繰り返しながらも、創業5年目には社員数も20名を越え、新築100棟のお仕事を頂けるまでに成長した弊社。

その原動力は、常に前を向いた、雪深い田舎から出てきた夫婦の、人の気持ちを慮る精神にあるような気がしますね。

つづく

さあ、昨日はひどいめにあったので今日は一日がんばります!

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2016.7.13


おはようございます、小嶋です。

今日は、株主様の社宅新築工事の打ち合わせの為、何時もより一時間ほど早く出社しています。これから茨城県の鹿島という街まで行きますが、安全運転を第一に運転して行って来ます。

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(㈱カネカ鹿島工場)

さて、一昨日の晩、1階のリフォーム事業部で昔の話をしましたが、その中で思い出の場所となっているのが、昭和55年ぐらいまで、本社の近所にあるハードオフとなった場所にあった弊社の工場の思い出があります。

まだ、東八道路が未完成であった時の事を懐かしく思い出し、渡邉さん、小林さん、貢一さんと笑いながら話をしました。

私が、小学2年生か、3年生の頃、新卒として、小林さんは新潟県の高田から、渡邉さんは福島県から弊社に入社してきましたが、丁度その時活躍していたのが小金井の工場でした。渡邉さんより小林さんの方が一年早く弊社に入社しており、今では社歴40年最古参の社員となっています。

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(勤続40年表彰の小林さん、右の写真は昭和52年当事の小林さんと私、私はプライバシーの問題があるので黒塗りです(笑))

昭和40年7月に創業してから5年目には既に100棟の新築工事を完成しており、まだハウスメーカーという言葉の無い時代では、急成長を遂げたという事が過去の数字から見て取れました。

中でも、府中市新町から小金井市の前原町に本社を移転した後は、高度経済成長の波に乗り、飛躍的に成長していますが、当時の話として、渡邉課長から『会社のトイレに入ると目標136棟と貼られていた』と話してくれました。

何故、136棟なのかは解かりませんが、現在と比較しても物凄い数だと思いますね。

一昨年、創業からの集計を私が行いましたが、累計は3946棟(新築のみ)、大型増改築を含めると4200棟、ソーラーサーキットは765棟でした。

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(工場で笑顔を見せる祖父と昭和47当事の工場)

初代工場長は、私の祖父である小嶋慎一が勤めていましたが、当時は母を亡くした事もあり、子供の頃よく祖父に会いに工場に遊びに行っていました。工場の入り口左には、小さな小屋があり、そこに祖父が大好きな緑茶を飲みながらいつも座っていて、工場の右手には、池(防火水槽)があり、当時危ないから絶対に近づくなと祖父に言われた事を懐かしく思い出します。

工場の奥には、何人もの大工さんが加工作業に汗していて、一番左奥では親戚の小嶋板金(リフォーム事業部の貢一の父)の加工場もありました。

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(大切に保管してある祖父の名詞)

ある日の事、工場で何時ものように遊んでいた時、ドガッ、ズズズっという音が聞こえ、工場の外に出ると三輪車(当時活躍していた三輪車のトラック)が転倒して、積荷を大量にばらまいていました。

祖父を始めとする大工さんが数人がかりで三輪車を御越し、積荷を集めて数分後には復旧しまいたが、その時、運転手さんからお礼にと、イチゴジャムが入ったダンボール箱を頂いていた事を未だに覚えています。

その後、毎朝イチゴジャムが我が家の食卓にあったのはいうまでもありません(笑)

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工場の思い出といえば、まだ、東八道路が、前原交番の前で止まっていて、体感住宅の前の新小金井街道の工事中だった頃、若き日の渡邉さんとキャッチボールをした記憶がありますね(笑)

弊社の野球部があった頃、今は会社の東側にあるのマンションが建っている所にあった慶応大学のグラウンドに草野球の応援に行きました。

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パンチパーマの社員や、おっかない大工さんに職人さんが、沢山いた時代ですが、様々な思い出を残してくれています。写真の中で現在弊社に在籍しているのは、会長と私、小林さんと渡邉さん、そして中村部門長の4人だけですが、これからも、一年一年思い出に残るような社員旅行等をして後年に語り合えるようにしたいと思いますね。

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次世代の皆が、あの時があるから今があると感謝されるように、積み重ねていきたいですね。

さあ、そろそろ鹿島に向けて出発します、今日も一日がんばります!

 

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